ラベル 2018東北三陸ジジイツーリング の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 2018東北三陸ジジイツーリング の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021/03/11

東北ツーリングのブログを読み返す

東日本大震災で被災された方、亡くなられた方にお見舞い、ご冥福を申し上げます。

あの震災から10年目の今日、朝から当時の事を思い出していました。

当時は事務所で出荷作業をしていたところ、強烈な縦揺れを経験。公共交通機関が麻痺し、その日の晩は帰宅困難となったスタッフと事務所に泊まりました。

_RCK3978
【2018年 気仙沼のホテルで借りた福来旗を手に】 

3年前、そして9年前にもリンプロジェクトでは現地に足を運びました。

2012年は瓦礫の山だった場所が2018年には活気づいていたり、一方でいまだ更地のままだったり。

2021年もまた訪れたいと思うのですが、コロナの時代なので当時のブログを読み返して、今はどう変わっているのか、そして変わっていないのか、思いを馳せたいです。

一緒に読んでくださる方は↓からご覧ください。

【東北三陸ジジイツーリング】

2019/08/30

最終回【東北三陸ジジイツーリング】DAY4 女川〜仙台編

2018年10月10日(水)〜13日(土)にジジイと一緒に旅した東北三陸ツーリングの記録をここに少しずつ書いていきたいと思う。

【DAY1】10月10日(水)宮古→釜石
【DAY2】10月11日(木)釜石→気仙沼
【DAY3】10月12日(金)気仙沼→女川
【DAY4】10月13日(土)女川→仙台

--------------------------------------------------------
【DAY4】 2018年10月13日(土)女川→仙台

目を覚ますと万石浦に反射する朝日が差し込み、秋晴れを喜ぶジジイの笑顔が部屋中に満ち溢れていた。本日は仙台駅までのラストランである。めんたいこ食べ放題の朝食を済ませ、最終日の切なさを胸に抱きつつ出発する。

_RCK4620
秋晴れスマイル。

_RCK4625

_RCK4640
演歌のCDジャケットみたいになったが、AM8:00出発。

社長が「万石浦と太平洋を結ぶ極端に細い水路を見たい」と言うので398号から2号に左折すると早速釣り人がイシガレイを釣り上げているところだった。

大きなイシガレイに社長も村田さんもしばし感心していた。ぼくは心の中で"マジ食いてぇ"と思ったが、幸いなことに昼飯で食べる事になる。

_RCK4651
"マジ食いてぇ" さすがに声に出しては言えなかった。

ジジイ一行は来た道を戻り240号から石巻魚市場へと向かった。津波で全壊した魚市場は2015年9月に新たな施設として運用開始となり、その建物の長さは約880mで世界最大級という。漁船も多く停泊し、この時に感じた魚市場がやたら長いという印象はその為だった。

さらに石巻は世界三大漁場の1つである三陸・金華山沖を漁場に持ちリアス式海岸である事と、暖流と寒流が交差する地点でもある事からさまざまな魚が豊富に獲れるそうだ。再開までの苦労は計り知れないが石巻は世界に誇れる海と一緒に復興を目指していた。

_RCK4655
世界最大級の石巻魚市場。写真じゃわかりにくいがとにかく長い。

このまま240号をまっすぐ進み航空自衛隊松島基地に向かおうとするが、バイパスのような道になってしまったので慌てて柵を乗り越え側道に避難した。復旧作業が続く東北地方は道路地図が追いついていない場所が多く存在するので注意したい。

仕方なく舗装前のグラベルロードを走り、398号に戻り『石ノ森萬画館』へ立ち寄った。遠くから見ると川の真ん中に宇宙船がでーんと鎮座しているようだった。

萬画館は特に女性を中心とするファンが多くジジイ二人は妙に異彩を放っていた。また石巻市街は石ノ森先生のアニメキャラクターがあっちにもこっちにも設置されている。マンホールにもだ。ファンにはたまらないだろう。もちろんぼくもであるが。

_RCK4667
復旧作業が続く道がまだまだ多い。腰に伝わるバイブスが非常に辛い場面も。

_RCK4676
旧北上川の中州に停泊している宇宙船。今にも飛んでいきそうな迫力だ。

_RCK4680
ロボコンとシャチョコン。なんだかいい感じだ。

市街地を抜け、247号北上運河沿いに入ると久しぶりにザ・ツーリング的な気持ちのいい道を走る事ができた。いまでも復旧作業が続く東北地方は○○工事と掲げたトラックが頻繁に走っている。車もトラックも少ない道は4日目にして初めてであった。

ここで社長スピーカーのスイッチが入る。ポチッとな!!

「キタァノォ〜♪」

アッパー系演歌で村田さんも体を揺らしガン盛り上がりだ。
運河を進むカヌーを横目にマシンを漕ぐ。

_RCK4695

航空自衛隊松島基地が見えてきたがブルーインパルスの姿が見えない。そもそも遠くて何も見えない。予想はしていたが少々残念であった。

しかしグーグルマップによるとこの先の鹿妻駅前にブルーインパルスが展示されているではありませんか!ぼくもガン盛り上がりでマシンを漕ぐ。

_RCK4763

_RCK4762
95年まで実際に飛んでいたブルーインパルス。本日は宇宙船も飛行機も見れてロッキー感激。

45号の1本海側の道は枝豆畑が広がり気持ちよく走っていると一つの記念碑が立っていた。そこには「ここにも津波は来る。まずは高台へ・・・。」と記されていた。

松島基地も28機の航空機が流されてしまったが基地司令で早々に屋上に避難し全隊員が助かったという。松島基地を題材にした小説でも読んだが、もはや機体よりも隊員の命を優先した指令をぼくはただただ嬉しく思う。

_RCK4795

_RCK4747
辺り一帯が枝豆畑の広々とした開放感いっぱいの空間。枝豆"マジ食いてぇ"

社長とぼくは2度目の奥松島である。6年前は海にトラックやショベルカー、建物が海に沈んでいたが今では撤去され道も綺麗になっていた。奥松島パークライン沿いに永遠とも思える瓦礫の山も無くなっていた。釣り人や海外からの観光客も多く、賑わいを取り戻していた。そして釣り人はイシガレイを釣っていたのである。

RCK_7220
【6年前の奥松島パークラインの写真】
今ではこの場所も釣り人で賑わっていた。

RCK_7183
【6年前の奥松島パークラインの写真】
終の見えない瓦礫の山が悲惨な光景だった。

_RCK4830
奥松島パークラインで見かけたグッドネイチャー。

_RCK4842
大きなカレイを釣り上げニンマリ。"マジ食いてぇ"

今回も大高森に登る。標高106mの大した高さではないが自転車で走ってきたジジイにはきついだろう。社長は足腰が強いのか誰よりも早くシャキシャキと登る。

_RCK4868

社長は登山家のご夫婦に「お若いですねぇ」と褒められていた。約15分で頂上に到着し、第一声は、やはり「ああ松島や」である。絶景なのだ。

6年前と変わった景色は瓦礫が無くなり防潮堤の整備が進んでいた事である。率直な感想は、復興には大変な時間がかかるという事だ。

_RCK4900
膝にくる下山が最も大変だったことは言うまでもない。

_RCK6059
震災から8年経った今も復旧作業が続く奥松島パークライン。

ジジイ一行は登山でハンガーノック状態の為、6年前のツーリングでもお食事をした福浦島入口付近にある「活魚の宿こちら丸特漁業部」さんへ向かった。
ここで頂いた刺身が旨かったのでまたいつか来たいね、と言っていた海鮮居酒屋である。

_RCK4985
青いラインが津波で浸水した高さだそうだ。

メニューを開くなり「親方おすすめランチ特大カレイの唐揚げと海鮮丼」が目に飛び込んできた。散々旨そうなカレイを見てきたら、これにするしかないではないか。全会一致である。

出てきたカレイは30cmほどあり骨までバリバリいただける。身も厚くバリフワという表現が正しいだろうか。バブル世代のジジイがかぶりつく様は体力の衰えを全く感じさず現役バリバリの肉食系男子を彷彿させた。そして海鮮丼もぺろりと食らう。

デザートにアイスをほおばる村田さんはやはりバブルを生きた漢である。

_RCK4964
特大カレイの唐揚げとミニではない海鮮丼。すごいボリュームだ。"マジで早く食いてぇ"

_RCK4969
バリバリの現役社長は骨までバリバリと喰らう。

_RCK4965
華麗にカレイにかぶりつく村田さん。

_RCK4989
福浦島をバックに食後のアイスを頬張る村田さん。この時ばかりはゆるふわである。

お腹も満たされ45号を南下し塩釜魚市場を経由しマリンゲート塩釜へと向かった。多くの遊覧船がプカプカと浮いているのどかな風景を2階の喫茶店でコーヒーを飲みながら眺めていた。そしてこの2階付近まで津波が押し寄せたとは信じられないが事実である。

マリンゲート塩釜の真横に遊覧船が停泊しているが、この遊覧船は津波襲来時に桟橋に係留していたにも関わらず漂流を免れている。

その答えは浮桟橋だったからだそうだ。マリンゲートの2階から撮影された動画では津波襲来時1階付近に見えていた遊覧船は津波が高くなるにつれ桟橋とともに浮上しているのが良く分かる。

かわいい鳳凰や龍、お洒落なガラス張りの遊覧船。これからもたくさんの観光客を楽しませてほしいと願い仙台駅へと向かう。

_RCK5033
この桟橋が津波襲来と同時に船と一緒に浮き上がってきた動画が印象的だった。

_RCK6092
個人的に乗ってみたい鳳凰丸。なんてオシャレなんでしょう。

_RCK5051

_RCK5062
旅の最後に多くの会話は必要ない。それぞれが今回の旅で感じた思いを胸に抱き
静かなコーヒータイムが過ぎていった。





新幹線の時刻には余裕を持って仙台駅に到着する事ができた。

駅前のトヨタレンタリースでハイエースを返却し、ぼくたちは自転車とツーリングの終わりを告げる切ない気持ちを輪行袋に詰め込む。

_RCK5085
楽しくも切ない旅が終わり輪行作業をする社長。

_RCK5134
19:30発のはやぶさに乗り東京へ。

思えば2011年の東日本大震災以降、ぼくたちリンプロジェクトは日本橋〜日光東照宮、宇都宮〜仙台、福島〜茨城、青森〜仙台を4回に分けツーリングを実施している。ぼくたちが自転車でできる復興のお手伝いはツーリングを通して、地の物を食べる事。そして実際に見て感じ、伝える事。皆さんの心からこの大きな災害が風化してしまわぬように。

そして新幹線に乗り込むなりクタクタになったジジイは早々に居眠りに入る。ぼくは道中お世話になったジジイとの思い出を振り返り、早く大切な人の元へ帰りたいと強く思うのであった。

またいつか、必ず、いくぜ東北。



_RCK3462
text/photo rocky

【東北三陸ジジイツーリング】動画も是非ご覧ください。

2019/05/25

【東北三陸ジジイツーリング】DAY3 気仙沼〜女川編

2018年10月10日(水)〜13日(土)にジジイと一緒に旅した東北三陸ツーリングの記録をここに少しずつ書いていきたいと思う。

【DAY1】10月10日(水)宮古→釜石
【DAY2】10月11日(木)釜石→気仙沼
【DAY3】10月12日(金)気仙沼→女川
【DAY4】10月13日(土)女川→仙台

--------------------------------------------------------
【DAY3】 2018年10月12日(金)気仙沼→女川

気仙沼港から漁船が続々と出港している。その様子をホテルの窓ガラス越しにぼんやりと眺めていた。昨晩の話が嘘であったかのように港は活気づいている。夜は暗くて気づかなかったが更地になったままの場所がここからも多く見渡せる。やはり現実に起こった事なのだ。

_RCK3941
漁船が続々と出港していく気仙沼港。区画のみの更地も多い。

朝からシャキッとしたジジイと合流し朝食を頂く。バイキングなので村田さんは相変わらずたっぷりと朝食を皿に盛り、そしてデザートも忘れない。ぼくはツーリング時、朝食は納豆ご飯と決めているが、東北の宿は明太子食べ放題なパターンが多い。明太子が大好きなぼくは、自分ルールを破り、たっぷりの明太子と白いご飯で満足の朝食を済ませた。

出発前にカウンターで福来旗(ふらいき)をお借りし気仙沼の町をバックに復興を願い記念撮影をした。一緒にいたホテルスタッフさんは

「自転車ツーリングで多くの方に観光に来て欲しい」

と言っていた。

そしてぼくたちが見えなくなるまで、福来旗を振り見送ってくれた。

_RCK3978
気仙沼の復興を願い福来旗を持って記念撮影。

_RCK3987
気仙沼プラザホテルさんには貴重なお話をたくさん聞かせていただきました。
ありがとうございました。

本日の目的地は女川である。さっそく雨がぱらつく中、社長のブルートゥーススピーカーから演歌が流れ始めた。テンションを上げるためだろう。なんだか急に景色がモノクロになり、古き良き昭和臭を漂わせ始めた。村田さんは「懐かしいねッ」と言ってノリノリだ。坂道も演歌に合わせモリモリと進む。

_RCK3275
ツーリング出発前にスタッフからスピーカーの使い方を習っていた社長。
このスピーカーから結構いい音量で演歌が流れる。

45号を南下しているとかつて海岸沿いにあった気仙沼線跡が見えてくる。地図上では線路が途切れ途切れに存在しているが、線路跡やトンネルは植物の浸食によりあと数年もすると何があったか分らなくなるだろう。現在では気仙沼〜柳津間をバスが運行している。このバス専用レーンが何とも自転車で走りやすそうな道なのだ。いつか隣に自転車専用レーンも作って欲しいなと個人的に思うのであった。

_RCK4096
かつて電車が走っていた気仙沼線跡。奥にトンネルが見える。

_RCK4088
気仙沼線・大船渡線の代わりとなって登場したBRT(バス高速輸送システム)
バスは専用レーンを走行する。

そして至る所に「過去の津波浸水区間」と表示された大きな看板設置されている。また建物にも同様の看板が貼られていた。村田さんは「ずいぶん登ってきたつもりなのにこんな高い所まで津波が来たのかぁ。これでは間に合うはずもない・・・」と言っていた。

_RCK3507
左側には民家の屋根が見える。ここまで津波が・・・。

_RCK5964
建物2階部分にも津波の到達水位を記す青い表示がある。

歌津館崎の魚竜化石産地に立ち寄りジジイは童心に返り平たい石で水切りを楽しむ。ジジイが子供にしか見えないから不思議だ。天然の鮭を発見した時に、ぼくと社長は大はしゃぎであったが村田さんは登坂中の為、黙々と先に行ってしまった。また地図が更新されていない区間があり、迷った先で震災当時に打ち上げられたままの漁船を発見し胸を痛めた。

_RCK4128

_RCK5891
水切りを楽しむ社長。村田さんも大はしゃぎ。

_RCK5939
天然の鮭を発見して社長とぼくが大はしゃぎ。

_RCK5910
清水浜にて。あの時から時間が止まっているかのようだった。

ジジイ一行は13時前に南三陸さんさん商店街へ到着した。ここは東日本大震災で被害を受けた志津川地区のお店が集まり、仮設商店街として開設後、2017年にオープンした商店街である。

ここではお目当ての「キラキラ丼」を頂く。キラキラ丼とは季節により内容が異なり、地元の四季折々の魚介を味わえる商店街の名物である。このキラキラ丼を求めて県内はもちろんの事、全国からも大勢の人が食べに来るという。さらにキラキラ丼加盟店での提供の為、お店によって味も内容も異なる。社長と村田さんは目をキラキラと輝かせ「弁慶鮨」さんへ入っていった。

ここで提供されていた秋のキラキラ丼は「はらこ飯」であった。炊き込みご飯の上に鮭と宝石のようにキラキラと輝くはらこ(いくら)が鎮座ましましている。本当においしいものを食べている時は無口になると言うが、お話し好きの村田さんが一言も発さない。いつか春夏秋冬のキラキラ丼を全て制覇しようと村田さんと約束しお店を後にした。

_RCK4161
いざ弁慶鮨さんへ。

_RCK4167
はらこが輝くキラキラ丼。宮城県の郷土料理はらこ飯である。

南三陸さんさん商店街のすぐ横には防災対策庁舎の震災遺構が保存されている。赤い鉄骨のみを残し、何度もテレビで見た映像と悲しい出来事が頭を過った。ここでは15mの津波が押し寄せたという。本来、町があったところは全て広大な更地となり、信じられない光景が目の前に広がっていた。防災対策庁舎は一時は解体する方向であったが2031年まで保存し改めて解体か否かの結論を未来の大人達に委ねる事が決定している。

_RCK4173
震災当時この防災対策庁舎で、ぼくと同世代の女性が津波が押し寄せる直前まで防災無線で町民に避難を呼び掛け続け、津波の犠牲になってしまった。この防災無線により多くの町民が助かった事、そして最後まで叫び続けた彼女を一生忘れない。

ジジイ一行は45号から398号に入り大川小学校跡を目指した。次第に天気も回復し久々の日差しがジジイに降り注ぐ。社長のアロハシャツも海をバックにすこぶるツーリング映えしている。急な上りは自転車から降り二人仲良く歩いて登る。ムキになって漕ぐ必要はジジイツーリングには必要ないのだ。

だがしかしジジイには金の余裕があっても、本日の時間にあまり余裕がない。それでもコーヒータイムは欠かさないのだ。

_RCK4262
着ている人も一緒にいる人もテンションが上がるサイクリストアロハ。

_RCK4339
ジジイに無理は禁物。登りは仲良く歩く。

_RCK4431
至福のコーヒーブレイク。ちょっと時間がヤバくなってきた。

日も傾き替えた頃、河川敷に大川小学校跡地が見えてきた。すると社長が「ここはだめだよ・・・」と、つぶやいたのが聞こえた。

_RCK6035

現地に到着しあまりの惨状と過去の悲劇に息を呑む。地震発生後”大人の指示”により校庭に留まり続けた全校生徒の約7割が津波に巻き込まれ命を落としてしまった。かつて小学校周辺は津波襲来の歴史がなかった事が津波を想定した避難を鈍らせたという。調べれば調べるほど悲しい事実が浮き彫りになる。

社長は小学校の中に入っていく事が出来なかった。ぼくは入った瞬間から涙が止まらなかった。真っ赤に焼ける夕日が北上川に沈んでいこうとしていた。

_RCK6048

_RCK4504
何度見ても辛くなる大川小学校跡地。同じ悲劇が起こらぬように・・・。

辺りは暗くなり398号を走行中、社長がポツリと呟いた。

「こんな言い方も良くないけどさ、大人は自己責任で死んでもしょうがねぇけど、子供がいっぺんに死ぬのはよくないよな。」

ぼくは、ただただ頷く事しかできなかった。

ジジイ一行は女川の宿「華夕美」さんに到着した。万石浦を見渡せる露天風呂に三人で浸かりながら、ぼくはジジイ達に東京で震災が起きたらどうするか何度も質問をしていた。

やはり亀の甲より年の功。海と地形に詳しい社長、土木技術者を務めた上げた村田さん。ジジイの答えはうんと為になった。

_RCK4576
人生の為になるお話をたくさんしてくれた村田さん。

ぼくは子供の頃に戦争の映画やアニメを親に何度も見せられ、二度と起こしてはならない人災であると叩き込まれている。しかし津波は何度も起きていた自然災害にも関わらず、風化してしまっていた事が現状ではないだろうか。

東日本大震災は甚大な被害だけでなく、我々に大きな教訓と膨大な資料を残したはずだ。津波が関係ない地域に住んでいても、将来自分の子や孫が海の近くに移住するかもしれない。辛い映像や資料かもしれないが、ぼくは積極的に子供に伝えていきたいと思う。

_RCK4597
女川の商店街で買った「アワビつぶ貝」がうんと美味しかった。

次回、DAY4 女川〜仙台編【最終回】へ続く。